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代表者経歴

代表者 (ジムマネージャー)
佐藤信一郎 (さとうしんいちろう)


昭和39年12月(1964年) 愛媛県生
小学校ではスポーツ経験なし。
体育は苦手で、スポーツテストで計測する運動能力はすべて標準を下回る。

愛媛県西条北中学校では水泳部に1年間在籍。
種目は自由形、予選会に数回出場し、すべて最下位。

愛媛県立新居浜商業高校入学後、応援団(応援部)に入団。
当初は発声、型ともに新入団員中最下位レベルであったが、
練習を続けるうちに、どちらも力を高めていき、
2年次夏の幹部交替では副団長に指名される。

大阪芸術大学入学後、体育会ボクシング部に入部。
当初はとてつもなく下手で、
早い段階で戦力・強化構想からはずされる。
初の試合出場は2回生秋の近畿学生新人戦、フェザー級で出場。
誰にも期待されず、ノーマークでの出場ながら、
周囲の予想を裏切り、2試合を勝ち上がって準々決勝進出。

3回生次夏の幹部交替で、副主将に指名される。

4回生次夏に部を引退。
卒業後、およそ1年間のブランクの後、
勤務先近所のクレイジムで練習を再開。
全日本選手権愛媛県代表選考会にライト級で出場、優勝。
その翌月に岩手県で開催される本大会には、旅費の工面ができず出場辞退。

以降、しばらく練習を離れた後、25歳時に練習を再開、
2年ぶりに試合出場をするが敗戦、以降は試合出場なし。
戦績は10戦7勝3敗(不戦勝を除く)
7勝はすべてポイント勝ち。

26歳時に大阪芸術大学体育会ボクシング部監督に就任。
以降およそ20年間監督を続ける。

平成16年(2004年)、ラッキースターボクシングクラブを創設。
現在に至る。


スポーツは苦手、運動能力はゼロ、指導者はいない、
練習環境は劣悪、試合機会は少ない、
そんな状態から練習を始めて、練習を続けて、
少しずつ力をつけて、はいあがるようにして、
最下位の位置から1人、また1人と追い抜いていきました。

「自分はへただ」「自分には向いてない」と考える必要はありません。
練習を続ければ、少しずつであっても上達し、伸びていきます。
私は、そのことをよく知っています。



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